外箱が捨てられない問題

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写真は、我が家に鎮座しているデジタル小物の外箱ばかりを閉まっているダンボール箱だ。これ、全部カラ箱なんだぜ。
しかも、比較的サイズの小さい箱だけでこれだけあって、パソコンやゲーム機など比較的大きなサイズの外箱は別のところに鎮座している。

 

「さっさと捨てろ!」というのがミニマリスト的には正解なのだろうが、改めて「なんでこんなカラ箱を取っておいたんだろう?」ということを自己検証してみる。

 

実は捨てる機会は以前にあった。今住んでいる部屋は1年位前に引っ越してきたのだが、この外箱たちは引っ越す前から我が家にあった。
引っ越しが急に決まったため不要品を処分する時間がほとんどなく、「とりあえず引っ越しが終わったらあとで仕分けよう」と引越し先からそのまま持ってきてしまったのだ。
それから1年近く、手付かずにそのまま残っている状態だ。

 

なぜ捨てられないのか? 要因は2つあると思っている。

 

1つ目は、「もしかしらまたいつか使うことがあるかもしれないから」と思うから。

 

その「いつか」って具体的に「いつ」だよ!!と自分にツッコミを入れたくなってしまうが、「もしかしたらまた引っ越しの時に必要になるかもしれないじゃん」、「中古で売ろうとした時に外箱があった方が高く売れるじゃん」と、まったくもって天才的な言い訳を自分自身にしてしまう。

 

保証書の期限だってとっくに過ぎているし、取扱い説明書だって、今どきならネット上にPDFで配っているから必要な時にダウンロードすればよい。心配なら Evernote にでも放り込んでおけば良い。
中古に売るにしたって、外箱なしでの数百円の違いだし、そもそも中古で売るってことは中身もいらなくなったってことでしょ?

 

2つ目は(これが最大の理由だが)、「今、捨てなくても別に死なない、困らない」から。

 

もちろんその空き箱群が残っていることで日々少しずつストレスはあるのだが、だからといって別に死ぬわけではない。
それに「モノを捨てる」という行為は非常に非生産的な作業だし、なんといっても「疲れる」。肉体的にも精神的にも。
それは空き箱の話に限らず「モノを捨てる」行為全般に言えることなのだが。
だからついつい後回しにしてしまう。

 

今週末にでもこいつらは処分しよう、そうしよう。

 

追伸:

 

とは言え、やっぱり Apple 製品の外箱は捨てられないんだよなぁ。
これが躊躇なく捨てられるようになったら、自分も少しはミニマリストの次のステージに上がれるような気がする。

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